happy_canon’s diary

宮崎県宮崎市で占いカウンセラーをしています

なぜピアニストを辞めて占い師になったのか?② ♯51

こんにちは、花音です💖

 

 

今日は神社清掃の日でした。

今回はどんなご褒美が来るかな~🎵

楽しみです🥰

 

境内に、

地元のお祭り会が主催で飾っている

風鈴回廊があるのですが、

(お願いごとを札に書いて風鈴に吊るす)

その取材に宮崎日日新聞の方が見えて、

会長さんから声をかけていただき、

ちゃっかり写真に写ってきましたw

 

うち、宮崎日日新聞を取ってないんですけどねー!!😂

 

 

 

 

さて、今日は昨日の続きで

 

 

なぜピアニストを辞めて占い師になったのか?②

 

 

を書いていこうと思います。

 

 

前回までのお話はこちら↓からどうぞ💕

happy-canon.hatenablog.com

 

 

「母に認めてもらいたい、褒めてもらいたい」

という思考でしか行動できなくなった私のその後です。

 

 

大学も卒業し社会に出た、いい大人が

いつも何かにつけ考えていたことは

「お母さんならどう考えるかな?どう行動するかな?」

でした。

その裏には

「お母さんの言う通りにしてれば間違いないんだから!」

という

洗脳にも近い母の執拗な言葉もあります。

 

 

母がすべての基準でした。

自分で思考する力はゼロでした。

 

 

コンサートを開いて、お客様から嬉しい感想を頂くことより、

私がピアニストとして活躍することで

母が母の友人たちに私の話をして、

自慢気でいてくれることの方が嬉しかったのです。

 

それでも、

私に対する母の言葉は変わりなく、

どんなに活躍しようと、

どんなに収入をあげようと、

私のことを認めてくれませんでした…。

 

「そんな仕事!」

 

何度も言われました。

 

 

 

その当時はとにかく

がむしゃらにピアノを弾いていました。

仕事もお陰様でたくさんいただいていたし、

そんな皆さんの期待に応えたい一心で

どうやったら上手になるだろう?

をひたすら考えて練習してました。

 

 

でも…

 

 

何回本番を重ねても、

自分の納得いく演奏ができることはありませんでした。

 

いや、正確には一度だけあります。

20年以上演奏活動してきた中で

たった一度、です。

 

いつもいつも

自分にダメ出しをしていました。

 

 

こんなんじゃダメだ、もっと上手にならなきゃ…

なんでこんな演奏しかできないんだろう…泣

 

 

年齢と経験を重ねるにつれ、

承認欲求の対象が

母だけではなく周囲の人にも広がっていきました。

コロナになりYouTubeを始めた時は視聴者さんにも。

 

 

 

何十年と、自分にダメ出しをしながら

自分の外に評価を求めて彷徨い続け、

とにかく苦しかった…

 

それはなぜか。

救いがどこにもないからです。

 

ピアノの練習がつらい、

弾けない自分がつらい、

評価されないことがつらい、

 

「私は本当にピアノが好きなんだろうか?」

 

これもまた

私が何十年も向き合ってきた疑問です。

 

ピアノを弾いて楽しいってなんだろう?

音楽を聴いて楽しいってなんだろう?

 

 

全く分からなかった…😅

 

 

 

でも神様は

 

そんな私に

 

ちゃんと気づきのきっかけを

 

与えてくださいました。

 

 

 

 

それは何か。

 

ピアニストあるあるの腱鞘炎になりました。

 

それもギブスをはめるほど重度の。

 

普段の生活もできませんでした。

包丁も握れない、

歯ブラシも握れない、

お箸も持てない、

腕を振って歩くのも痛い、

 

とにかく

痛くて痛くて毎日泣きながら生活してました・・・

 

 

 

 

 

と、したところで、

そろそろ長くなってきたので今日はこの辺で🎵

また明日続きを書きますね!

 

 

それでは

皆さま良い一日をお過ごしください🍀

 

 

 

 

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